さてお次は、往時の百済仏教の中心地であった定林寺址。『韓国石塔の初期の様式』と言われる石塔が残る寺として有名です。廃墟に石塔だけが建っているのかと境内に入りましたら、そこには真新しい博物館が建っていました。
入り口で日本語のパンフレットを渡され(入館料は1,500ウォン)期待して入館したのですが、中の展示解説はハングルのみ。せめて英単語でも並べてくれたら推量できるのに、これでは全く理解できません。パンフレットが立派なのは、そのためかもしれません。 |
中門・塔・金堂・講堂が南北一直線に並ぶ 百済様式として、日本の伽藍配置に大きな影響を与えました |
定林寺は、中門・塔・金堂・講堂が南北一直線に並ぶ百済伽藍の代表。百済は日本に、仏教・仏典だけでなく、造寺工・瓦職人・画工も送ってくれました。7世紀始めに建立された創建法隆寺(若草伽藍)は、現在の法隆寺伽藍配置とは異なる、この百済様式だったことが確認されています。
現在日本でこの様式を見ることができるのが、593年(推古天皇)建立の四天王寺です。定林寺博物館の位置は、この図の中央上、緑地帯の部分になります。 |