博物館を駆け足で(解説文が読めないので)見学して、少し低い場所にある定林寺址へと向ってみます。広い芝生の元境内の中央に、孤高の人のような姿で塔がポツンと建っています。近づいてみると意外と大きく、高さは8.3m。扶余に都が移された6世紀に建てられています。
各層の隅柱・少し反り上がった軒の端などから、木造的な技法を見ることができ、韓国の石塔美術の白眉とも言われています。華やかな仏教美術が花開いた創建時から、百済滅亡時の寺院焼失。その後の各時代を生きて現代まで、扶余の栄華盛衰を一人で見つめてきた石塔です。 |
往時を偲ばせるのは、8.3mの石塔のみ |
1962年、定林寺址五層石塔は国宝第9号に指定されました。9番目と言う番号の若さからも、この石塔の重要性が知れますね。ちなみに韓国の国宝第1号は、先日(2008年2月10日)全焼してしまったソウルの南大門(ナムデモン)。日本の第1号を調べてみると、京都太秦広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像でした。
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穏やかなお姿の、高麗仏 |
奥に見えている建物の中には、高麗時代の作と言われる石仏が安置されています。少し磨耗して丸みを帯びたそのお顔は微笑んでいるようで、円空仏にも似た慈愛の表情です。祈りの対象と言うより、人の苦しみに寄り添ってくれそうな優しさを感じました。 |