龍頭山公園中央には、壬辰・丁酉倭乱(文禄・慶長の役)の英雄「李舜臣の銅像」があって、釜山港を見下ろしています。
李舜臣:『1945年ソウルに生まれた李将軍は、亀甲船を発明して秀吉軍を撃退した救国の英雄である。1598年、撤退中の秀吉軍を追撃中に戦死。その遺功を称え子孫に伝えるため、1955年にこの銅像を建てた。-碑文より抜粋-』。 |
タワーを背にした救国の英雄李舜臣 |
中国風の鎧に身を包んで大刀を掴んでいる描写は、木浦の儒達山にあった銅像と同じですが、ポーズはやや違います。儒達山のは指揮を取る瞬間なのか、大きく腕を広げていましたが、こちらはキッと日本をにらんでいるかのような不動の立ち姿でした。
李将軍の生涯や、彼の発明と言われる亀甲船に関してはまだ解明されない部分も多いようです。下に関連本をご紹介しておきますので、興味のある方は読んで見て下さい。 |
さて、かれの発明したといわれる亀甲船とはどんなものなのでしょう。こちらは木浦の海洋遺物展示館にあった亀甲船の模型ですが、解説がハングルだけだったので全く理解できませんでした。ここは、片野次雄著「李舜臣と秀吉」及び野口赫宙著「陶と剣」から引用させていただきます。 |
亀甲船の模型:海洋遺物展示館 |
『甲板(屋根)を薄い鉄板で葺き、十字の細い通路以外は針のように鋭い鉄錐を林立させた。船首に龍頭を作って口を砲穴となし、後方を亀尾として尾下にも砲穴を設けた。兵士も漕ぎ手も全員船内に入れ、壁面につけられた砲穴から銃や大砲を発射。戦時には屋根をコモやムシロで覆って針を見せず、知らずに飛び移ってきた日本兵を殺傷させる』。 |
朝鮮水軍と秀吉軍との海戦のジオラマ:釜山博物館 |
「亀甲船」と聞くと可愛らしい亀の姿を想像してしまいましたが、実際は怪獣にも似た姿の恐ろしい戦艦でした。写真は釜山博物館にあった海戦のジオラマ。手前中央が、秀吉軍船に体当たりしている亀甲船です。前述のように亀甲船の復元に関しても研究途上で、色々と作られている模型も決定的なのはまだなさそうです。 |