尖石遺跡

 考古館から道路を渡り、標識に従ってなだらかな斜面を500mほど歩くと、木立の中に柵と立て札が見えてきました。この石が遺跡の名前にもなった尖石。巨石を想像して来たのですが、地上に見えているのは子供の背丈ほどとそう大きくはありません。

 『八ヶ岳西麓1073メートルの台地にある、約5000年前の代表的な縄文遺跡で、台地の南斜面には地上高1.1メートルほどの三角錐状の岩がある。”縄文人が石器を研いだ”と言われるこの巨石は”尖石さま”と呼ばれ、遺跡の名もこれによっている』。

"尖石さま"と呼ばれる巨石、遺跡の名もこれによっている
“尖石さま”と呼ばれる巨石、遺跡の名もこれによっている
 霧が峰周辺は貴重な黒曜石の産地として、縄文時代中期には日本列島で最も栄えた土地です。三内丸山や能登の真脇遺跡でも、霧が峰産の黒曜石を加工した矢尻が発掘されるなど、広範囲な広がりをみせています。

 道路網など整備されていない当時、「どのようにして?」この土地から各地に運ばれていたのでしょう。

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