『一大国(現在の壱岐)から・・・、又一海を渡ること千余里。末盧国に至る』と魏志倭人伝に記述の見える末盧(まつろ)国。
ここは又、日本で最初に稲作が行われた(裏づけが取れた)場所でもあります。今後の考古学上の発見によっては、その一番の位置を譲ることになるかもしれませんが、今のところは最古です。稲作唐津末盧館は、ズバリその菜畑遺跡に建てられた施設でした。 |
高床倉庫を模した末盧館 |
菜畑遺跡: 『菜畑では今から2500~2600年前の縄文晩期に、大陸から伝えられた稲作を日本で初めて行いました。遺跡からはこれを証明する多数の炭化米、稲穂を摘み取る石包丁・木製のクワなどと共に小区画の水田跡も発見されました。
又、水稲だけでなく、アワ・ソバ・ダイズ・ムギなどの五穀。メロン・ゴボウ・クリ・モモなどの果実・根菜類も栽培していました。平成元年には、家畜としての豚も飼育していた事実が確認され、菜畑は文字どおり”日本農業の原点”であることが証明されました。 − 末盧館パンフレットより』 |