この広場の端、校舎から校庭の向こうに鉄棒を見るような位置に、何か並んでいるのが見えます。近づいてみると、それは石でできた武人と首のない馬。何の知識もないこの時でも、暮れなずむ別区に佇む彼らの姿から(レプリカとはいえ)、哀感が漂っているような気がしました。
この地方で豪族の墓(古墳)に、墓守として並べられていた石人と石馬。527年、大豪族”磐井”を破った継体天皇軍は、その石人・石馬を徹底的に打ち壊す。それ以後、石人が「豪族の墓に飾られることはなくなった」と語り継がれています。 |
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「別区」に並ぶ石人と、首のない石馬。レプリカながら場所が場所だけに、その歴史を思うと感慨深いものがありました。
翌日、熊本装飾古墳館の「生きていた石人」という立体映像を見て驚きました。「この事件が古墳内部に装飾がほどこされるきっかけになった」と知ると、「だからあんなに寂しそうに見えたんだ」と合点がいきました。 |