地図上で東北歴史博物館は壷碑の東南に位置し、東北本線を挟んで斜めに向かい合うように建っています。「この距離ならわけもないだろう」と歩き出したのですが、大回りしている車道を行くのは結構時間がかかります。 | |||||||||||||
東北歴史博物館 |
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ほろ酔い加減の2人は歩き疲れ、途中のコンビニで大休止。椅子に座ってアイスを食べ始めました。スタートが遅かったので、「見学時間が少なくなるよ」とハラハラ。背中を押すように博物館に着いた時、既に3時半を回っていました。
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常設展示室は、旧石器時代の富沢遺跡をスタートに、時代別に9つのコーナーに分けて展示されています。縄文・弥生・古墳と時代を辿り、展示室中央部分が多賀城とその周辺を紹介した、「城柵とエミシ」のコーナーになっていました。 | |||||||||||||
東北歴史博物館常設展示室 |
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ここに来たら多賀城時代のことが多面的に判るだろうと楽しみにしていたのですが、侵略者である律令国家サイドの展示ばかりで、敗者であるエミシ(例えばアテルイ)の事にはほとんど触れていません。
「敗者は語らず」で、資料も文献も残らないのが勝者が作る歴史の宿命ではありますが、「硫黄島からの手紙」が話題になっているように、これからの歴史展示は両者それぞれの立場を平等に扱う姿勢が欲しいものです。8世紀頃までこの地に住み、朝廷から「エミシ」と呼ばれていたのは、一体どんな人たちでどんな暮らしをしていたのでしょうか。判る範囲で構いませんので、少しは展示に反映させてください。 |
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