白浜の周辺地図を見ていて、「南方(ミナカタ)記念館」という文字を見つけ興味を持ち、行ってみることにしました。南方という苗字には、『出雲から諏訪に落ち延びた建御名方(タケミナカタ)命』と通じるものがあるのではないか、と思ったからです。白浜水族館横の道を左折して記念館の駐車場に車を置き、急坂を登ると昭和天皇の歌碑の前に出ました。
『雨にけぶる 神島を見て 紀伊(き)の国の |
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遠く田辺湾に浮かぶ神島を望む、記念館屋上からの眺め |
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入館したらまずはビデオで熊楠の生涯をお勉強。それにしましても「語学は前置詞をマスターし、原書を一冊読めば話せる」と10数ヶ国語を自由に使いこなしたとは、ただただ「羨ましい!」。
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展示は青少年時の写本類からアメリカ・イギリス時代の資料に菌類の標本、孫文や民俗学の柳田国男との親交を示す書簡類など盛りだくさん。特に「柳田は一国(つまり日本だけ)民俗学で熊楠は比較民俗学」という解説にひかれました。
柳田の集録した「遠野物語」の舞台となった遠野には市立博物館があり民話の世界への扉を開いてくれます。「遠野の心」を伝えたいという情熱が感じられる良い博物館でした。 |
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日本が生んだ巨人、南方熊楠の記念館 |
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「学校嫌いの学問好き」だったという熊楠。不登校の子供たちもこれには「そうだよ」と言いそう。「学ぶことは好きなんだ。ただ学校に行きたくないだけさ」って。文部省のお役人さん、人間を鋳型にはめ込む作業を「教育」だと勘違いしていませんか?
彼の人となりと足跡に、かなり圧倒された見学の後は屋上へ。ここからは『昭和天皇に進講したおり、粘菌の標本をキャラメルの箱に入れて献上』して周囲を慌てさせたと言う、あの歌碑にも名が見える神島を遠く望むことができます。 |
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