さあ、やっと”鹿の子遺跡”に着きました。風土記の丘に来たのも、この遺構が見たかったからなのです。案内には「常磐自動車道建設に伴う発掘調査で発見された遺跡の一部を復元したもの」で、「鉄製品を製造していた特殊な構造の建物後が発見され、8世紀末から約100年間続いた常陸国の官営工場跡と考えられる」とありました。 |
5号連房式竪穴遺構 : 奥に見えているのがSX-01・1号工房 |
8世紀末、は桓武天皇が平安京に遷都し、東北地方の平定に乗り出した頃に当たります。復元された建物は全部で12棟。これだけギッシリと建ち並んでいる区画に入ると、本当に当時にタイムスリップしてしまいそうでした。
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工房内部 |
8世紀末の常陸の国は、多分東北経営(蝦夷戦)の最前線。7基の炉跡が並ぶこの遺構は、”工房”と言うより当時の”武器工場の跡”なんですね。この工場で作られた鉄鉄製の武器が、蝦夷征伐に向かう兵士の手に握られた、と思うと見学するのも辛くなってきます。歴史は、「事実は事実として直視しないといけない」と判ってはいるのですけれどね。 |