こんもりとした林に向かってしばらく歩いていくと、となにやら前方が輝いて見えてきました。「アッ」。明るく輝いて見えていたのは、遠くの北上川と眼下に広がる水田が、太陽を鏡のように反射していたからでした。 ここは賢治が羅須地人協会を開き、農業の指導や芸術活動を行った土地。今は高村光太郎 揮毫(筆による)の、「雨ニモマケズ」の碑がその場所である事を教えています。 |
高村光太郎 揮毫の(筆による)「雨ニモマケズ」の碑 |
この詩碑、脱字の追刻(建立8年後に脱字のあるのを知らされた光太郎は追刻を快諾した、と説明文に記されていました)があるのはご愛敬としましても、「雨ニモマケズ」の碑とはいいながら馴染みの薄い詩の後半部分で、有名な前半部分「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」がないのは寂しい。
それにしても何故光太郎が揮毫したのでしょう。疑問は深まるばかりです。 |