彼らはボールとピンだけでなく、ボーリング場まで作ってしまったとか。当時収容所内には俘虜経営の「ボーリング場」があり、ゲームを楽しむドイツの方々で繁昌していたようです。お金のやり取りを伴う、こんな営業行為まで許されていたなんて、驚きです。 |
固い木を丸く削って作った、ボーリングボール |
「第九の里ドイツ村(林 啓介著 井上書房)」には、『いわゆるドイツ式の九柱戯で、固い木を丸く削ってボールを作り、数十メートル離れた九柱への命中度を競った。 ピンが現在のように十本ではなく、賭博性の強いものといわれる。料金は時間帯により異なり、1時間30~50銭で1日中利用できた。
いずれにしても、板東収容所ボーリング場は、江戸時代長崎の出島でオランダ人が行ったのに次いで、日本で2番目に古いとされる。』と記されていました。 ビール工場に、パン工房、オーケストラにボーリング場(しかも日本で2番目の!)、この静かな田舎町が当時は、ヨーロッパ文化最先端の地だった。それが人間の尊厳を知っていた会津武士と、それに応えたドイツ人俘虜たちによって生まれたことには感動すら覚えます。「人間って良いな」と素直にそんな気持ちにさせてくれる、鳴門のドイツ館にどうか足をお運びください。 |