勝本町には「御柱」の他にも、神宮皇后を祭った「聖母宮(しょうもぐう)」や、壱岐最古の地層(2500万年前とか)が見られる「壱岐の土台石」、イルカと遊べる「イルカパーク」などの見所があります。本当はイルカに触れて見たかったのですが、どう考えても時間が足りない。で、イルカパークは次回へ譲り、ここでは聖母宮と土台石を見学して、郷ノ浦港方面へと南下することにしました。
勝本浦の鎮守様、神宮皇后の朝鮮出兵と深い関わりを持つ聖母宮ですが、境内は住宅に埋もれて意外と小さいのです。鳥居の横に、「車幅2.5mの制限標識」が置かれるほど、地域生活に密着していました。 |
|||
伝「神宮皇后の馬蹄石」 |
|||
『朝鮮出兵のおり皇后は、風待ちをして対馬の鰐津に出帆した地を風本と名づけ、帰りに再び立ち寄られ出兵の勝利を祝って勝本と改められた』。お宮はその時の行宮(あんぐう)の場所に、奈良時代になって建立されたと言われています。縁起の最後に、『正門の前方には、皇后の馬の蹄跡が残っています』とあり興味津々、早速見に行きました。
でも、通りかかった人に「馬蹄石は?」と聞いても「さあ?」。宮司さんに聞いて場所はわかりましたが、肝心の足跡を特定するのに時間がかかりました。だって、石垣をよじ登らないと見えないんですもの。もう少し下においてくれたら良かったのに。 |
|||
郷ノ浦港に向かう道すがら、「風土記の丘」の看板を見て車を止めました。こちらは掛木古墳や百合畑古墳園などの古墳群や、江戸時代中期の百姓武家家屋などで構成されていて、古墳見学だけなら無料です。 | |||
「風土記の丘」民家園 : 入園料200円 |
|||
民家園には、インキョ(隠居所)、オモヤ(母屋)、ホンマヤ(作業場兼穀物倉庫)などが並び、江戸時代中期にタイムスリップさせてくれます。印象的だったのが、オモヤの居室部分に囲炉裏がなかったことです。暖は台所のカマドだけで取ったのか、気になって園の方に聞いてみました。が、ここでも「さあ、壱岐は暖かいからかね。あまり気にしたことなかったな」と流され、結局判らずじまいでした。武士は寒くても・・・・、と言うことだったのでしょうか?
|
|||
壱岐島関連リンク
壱岐市役所:http://www.city.iki.nagasaki.jp/sightseeing/
|