装飾古墳を調べていて「漢皇帝から王侯に与えられた、ガラス製壁の出土例は博多周辺の数カ所の墳墓のみ」という記述を見つけました。その本には写真もなかったので、一体”壁(へき)”とはどんな物か、実物があるなら「見てみたい」と思っていました。 |
金印が出土した公園展望台より玄海灘を望む |
太宰府の九州歴史博物館で最初に”壁”を見た時、「こんな小さな破片が? !」大陸との交流を示しているのかと、驚きと共に感動すら覚えました。これは何としても出土地に「行ってみたい」と、”壁(へき)”を求めて北部九州を巡り歩いてしまいました。
漢の皇帝から周辺諸国の王侯へと下賜された(らしい)ガラス壁。その一つは「須玖岡本遺跡から出土」、と書いてあったので地図で調べた最寄り駅、南福岡に行ってみました。駅で聞けば何かわかるだろう、と思ったのですが何故かチンプンカンプン。とりあえず「多分あそこ」、という場所を教えてもらい歩き出しました。 |