次の便に乗り込み、ガーナの首都アクラに降り立ったのはもう真夜中。12時間も遅れたとあっては、出迎えてくれるはずの友人が居るはずもありません。電話番号は聞いていないし、両替所は閉まっている。ラゴスでの怖い記憶も生々しいので、「どうしたら良いのだろう」と、空港の出口で途方にくれていたところ、「どうしたの」と声をかけてくれた女性がいました。訳を話すと「これでタクシーに乗りなさい」とお金をくれ、「ガーナはナイジェリアと違って、ピースフルでフレンドリーな国だから安心して」と一言。
ガーナ行きを決めて以来、「もう厭!」と言うことばかりでしたが、彼女に会ってやっとガーナに親しみが持てるようになりました。名前も住所も「それほどのことじてないから」と教えてもらえませんでしたが、あの時は本当に「地獄に仏」の有難さでした。 |
日本語教師をしている友人の家は、4世帯入っているアパートの2階。広いダイニングに2つの寝室があり、快適に整えられていました。今回の目的の半分は、「こちらで日本食レストランでもできないかしら?」と言う彼女の相談相手と、希望の日本食材を運ぶこと。それ以外は観光するつもりでしたが・・・・、行きたい場所があって訪問した訳でないのでつい出不精になってしまいます。
生徒さんやら、知り合いの日本人(青年海外協力隊の理数科教師の方々が多かったですね)など、来客が多かったのでおしゃべりだけで旅行の前半は終わってしまいました。 |