2007年05月18日 : 連休明けから10日間ほど、八子が峰の山荘を拠点にして、周辺の温泉に入ったり岐阜の友人宅を訪問したりしていました。初日(行き)は山梨県立博物館で開催中の「風林火山展」を見学。この日は時間に余裕があったので、博物館ボランティアによる案内(約30分)と学芸員による解説(約1時間)の2回共に参加。何度も展示品を見て回りました。
信玄・謙信の川中島合戦を中心に構成されていましたが、目玉は入り口正面に置かれた「市河文書」(信玄が信濃の市河氏に送った書状)でしょうか。文中に山本管助(かんすけ)の名が見え、その実在が裏付けられたと言う貴重な品だそうです。 |
山梨県立博物館学芸員による展示解説ツァー |
会場には善光寺を開いたと言う「本多善光夫妻の像」も展示され、「長野善光寺の焼失を恐れた信玄が甲府に持ち帰り甲府善光寺を創建した」と説明がありまました。善光(よしみつ)氏が最初に開いたお寺、元善光寺が飯田市にあると知り好奇心がモクモク。岐阜へのの途中でもあるし、「行ってみようかな?」。
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翌日、茅野から杖突峠を越えて高遠に抜け、伊那市から153号線を南下。2時間少々で座光寺にある元善光寺に到着です。境内は丹精された牡丹の花が今は盛りと咲き誇り、お参りも忘れてしばし撮影に熱中してしまいました。
縁起によるとこのお寺、『今から約1400年前、本多善光卿が難波から一光三尊如来を背負って故里にに持ち帰り、臼を浄めて安置したのが寺の起こりである』なのだとか。 |
長野善光寺の元寺、飯田市にある元善光寺 |
規模は小さいながら、信濃善光寺同様の「お戒壇めぐり」もありました。本堂の地下にある通路を辿り、『極楽往生開運の錠前に触れてくる』仕組みですが、階段を降りてみるとそこは真の暗闇。この時は他に観光客が居なかったので、恐怖(自称、閉所恐怖症)で心臓がパクパク。でも、戻るのもシャクと右の壁を手で探りながら進み、どうにか錠前にも触れて出て来られましたが、「アー心臓に悪そう」。私不整脈なんですよね、危ない危ない。 |
本堂に戻ってみると丁度観光バスが着いたところで、「一緒に和尚さんの説明をどうぞ」と勧められ最前列へ。お話は面白かったのですが、お寺のことより土産のお線香や落雁、お守りの話がメインで、これは聞いても聞かなくてもどちらでも良さそう。でもその間、横の壁に貼ってあった「つもりちがい十ヶ条」をしっかりとメモ。これって誰にも当てはまりそうですので、以下にご紹介しておきますね。華やかな牡丹の花を愛でながら、ジックリとお読み下さい。 |
境内は牡丹の花が咲き乱れていました |
「つもりちがい十ヶ条」
1、高いつもりで低いのが教養 以上。どうです、参考になったでしょう? |