博物館前の乗り場にツアー・バスがやって来ました。先ほど同意書にサインしたばかりですが、まるで再確認でもするようにそれぞれの座席にも注意書きが置かれていました。『ツアー参加中に地震が起こったりビルが崩壊したりするかもしれません。それを望まない方はすぐにバスを降りてください』と言うことのようです。
念押しの注意をものともせず(?!)、ここで下車する人は誰もいませんでした。満員の観光客を乗せ、バスはRed Zoneへ向け発進。
しばらく公園に沿って北上したバスは、壊れた時計台の交差点を右折して立ち入り禁止区域へと入りました。通過した時は気づかず、先ほど行きと帰りに撮った写真を比べて判ったのですがこの時計、12時51分で止まっているんですね。ネットで調べましたらそれは地震発生時の時刻でした。
大聖堂、劇場、ショッピング街、あれから2年の歳月が流れましたが車窓に見る中心部は、人気のない街に重機だけが目立っています。その中で印象深かったのは、犠牲者と同じ数の白い椅子が並べられた広場です。よく見ると、素材も形も大きさも違いますし、車椅子と思しき物もありました。それが一様に白く塗られて、「私たちを忘れないで」「この悲劇を繰り返さないで」と言いたげにだまってこちらを見ています。
少し重苦しい雰囲気になった頃、金網の向こうに楽しげに行きかう人たちの姿が見えました。死の世界から生きている地上を垣間見たようで、「あそこに行って見たい」と思いました。地図で確認しますと、追憶の橋の近くのようです。40分ほどでツアーは終わり、博物館前に戻ってきました。さあ追憶の橋に向かいましょう。
博物館から徒歩10分ほど、エイボン川に架けられた追憶の橋は『第一次大戦中、出征兵達は橋の近くにあった兵舎から家族友人に見送られこの橋を渡って戦場に赴いた。無事戻った者も残されたものも様々な思いでこの橋を見つめた』ことから命名されたのだとか。現在の橋は1923年に建造された2代目ですが2年前の地震で被害を受け、訪問した2012年12月現在通行禁止になっていました。
アーチをくぐればバスから見かけたショッピング街なのですが、通行禁止なのでぐるりと迂回しなくてはなりません。先ほどより人通りは少なくなっていましたがこのキャシェル・ストリート、正面は金網が張られたレッド・ゾーン、通りにはコンテナショップが並び独特な雰囲気を醸し出しています。右手の赤いコンテナが銀行。広場を挟んだ向かいには2層になったコンテナ郵便局がありました。
このショッピング街には土産物店も多いので、南島の観光の最後にこの街に戻ってきた時、ここで家族や自分への土産物を買いました。ただ、ここでは入手できず残念な思いをしたものもありましたから、事前にちゃんとチェックしていけば良かった、と反省。