まずは腹ごしらえ、と市場の食堂で食事をしながらのシエンクアン談義。雑談の中でベトナム戦争の話になりました。かの有名な補給路、”ホーチミン・ルート”がこの地方を通っていたとは初耳でした。それを阻止するアメリカ軍の、種まきに例えられる空爆で、多くの命や町や村が失われ、新しい県都としてポーンサワンが造られたんだとか。 |
市場の食堂で5人で囲んだ食卓 ビールも入れて1人当たり7,000キップ(100円強) |
上空から見た荒涼とした風景も、西部劇のような空港もこの町も、その時の後遺症だったとは!
今でもラオスでは不発弾に脅かされ、「不発弾に注意」の張り紙が町の食堂にも見られます。「地雷注意」のカンボジアと同様、「インドシナ半島の戦争はまだ終わっていない」ことを、この町全体が語っているような気がしました。 |