ここは15世紀から18世紀まで続いた、奴隷貿易の積出港。初期には美しいビーズ玉と物々交換で、その後は文字どうり動物のように狩られて産業革命のヨーロッパ、砂糖キビプランテーションのためキューバなどカリブ海の島々へ、綿花産業の新大陸アメリカへと人々は連れて運ばれていきました。 | ||
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このころヨーロッパ各地で、模様入りの美しいガラス玉が盛んに作られました。ガーナの博物館には、ヴェネチア玉と呼ばれるイタリー産のビーズが数多く展示されています。インドネシアのジャカルタ博物館には、
かつて人々はその時間と情熱を
美しい物を作り出すために使っていた」 という解説文とともに、ペルシャ、ギリシア、ヨーロッパから海上貿易で運ばれてきたビーズ玉が展示されていました。その「美しい物」が人身売買に用いられるようになってしまうなんて悲しいですね。 日本では江戸時代”トンボ玉”の名で親しまれ全国に広がりました。長野県の安曇野に「とんぼ玉博物館」があり、古代からのトンボ玉が常設展示で見ることができます。 |
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積み出し口
港に面した小部屋の奥の狭い開口部からは南国の陽射しが射していました。この部屋が、「奴隷」という「商品」を船に積み込むために設けられたもの。人1人がやっと通れるだけという狭い積み出し口は、暴動防止の意味もあったようです。 |
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積み出し口 |
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次の船が来るまでの数ヶ月、窓もない不衛生な部屋に押し込められていた人々が、故国の太陽を見るのはこの時だけ。そしてこの部屋の中に入っが最後、再び故郷に帰れた者は誰もいないのです。 |