1858年(安政年)の鳥羽、うどん屋「阿波幸」の長男としてうまれた幸吉(幼名:吉松)が、誰も成功したことのない真珠養殖を決意するまでの経過。そして、5年後の半円真珠の完成、苦労を共にした愛妻ウメの死、17年後の真円真珠完成と”真珠王”と呼ばれるまでの日々。そのドラマチックな生涯が、写真パネルや遺品・映像で紹介されています。 |
1893年に完成した5個の”半円真珠” |
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当時の鳥羽と真珠島の模型 |
各国の博覧会への出品、不良真珠の焼却、発明王エジソンとの会見など、幸吉が世界的視野で物事をとらえていたのがうかがえるエピソードの数々。「世界中の女性の首を締めてみせます」といった幸吉語録など、世界に通用する事業家を目指した幸吉の姿が浮かび上がってきます。心持ち、時間にゆとりを持って入館して下さい。 |