朝方は陽が射していたのに、羅須地人協会へ向かう頃には激しい雨になっていました。標識だけを頼りに走ってくると、花巻空港の裏手に出ました。周囲に人家も見当たらない場所でしたが、「きっともうすぐ」と次の標識の出現を心待ちにしていましたのに・・・「ない!」。 出た場所は花巻農業高校の前で、そこにあったのは「賢治先生の家」の看板。
賢治ファンなら「賢治先生の家」というのが「羅須地人協会」の事で、花巻農業高校の中にあるというのは自明の理でしょうが、無知な私はまさか高校の中にあるなんて思ってもいない。それで「なんで!」とパニックになった次第です。 |
羅須知人協会(賢治の家) |
それにしましても、この家の辿った道は不思議です。賢治の死後まもなく(昭和11年)売却されて移築されたこの建物が、再びスポットライトを浴びるのは昭和39年。彼がかつて教鞭をとっていた、花巻農業高校(当時は郡立稗貫農学校)が移転の為の用地買収をした時、偶然というよりまるで賢治の意思であるかのように、この家が用地の中にあったということです。
隣接した花巻空港の拡張工事に伴い、昭和53年に現在地に移転。周辺を整えられた「羅須地人協会」は、生徒達に大切に手入れされて、やっと安住の地を見出したかのように穏やかな表情を見せていました。 |