幕末、諸外国から開国を迫られたわが国は、大砲鋳造・船舶の建造に大量の鉄を必要とするようになった。「たたら」で作られた鉄はそれらの製造に不向きだったため、水戸、長州、薩摩など各藩は苦心して反射炉・高炉を建造、洋式製鉄を試みた。今も伊豆韮山には、現存唯一の反射炉が残る。 |
たたら製鉄の最終章、等身大の人形による角炉の作業風景 |
たたら製鉄の最終章: 角炉は”たたら”同様、砂鉄を木炭で還元する炉で、炉を粘土からレンガに替えて連続操業できるようにした施設。伝承館は、昭和10年~20年にかけ操業されていた、櫻井家所有の角炉の復元。6体の人形とパネル展示で操業風景を再現しています。
「たたら製鉄」がその経済性から、「洋式近代製鉄」に引き離されつつあったその移行期、生き残りをかけて闘った鉄山師達の貴重な文化遺産の復元です。 |