装飾古墳とは

 『古墳内部の石室や石棺、又は横穴墓の壁面に彩色や彫刻で文様を施した物。5世紀に始まり、6世紀~7世紀にかけて九州北部を中心に広がりました。全国484例の内、186例が熊本県にあり、特に菊地川流域には122例と集中分布が見られます。 − 常設展示図録より − 』

 地階には12基の古墳石室の原寸大レプリカ、出土遺物、検索システム、マジックビジョンを備えた「装飾古墳室」と、『展示では表現できないもの、理解しにくいものを映像を使って歴史への興味を高める』目的のイマジネーション・ホールがありました。

装飾古墳室:石棺と井寺古墳
装飾古墳室:石棺と井寺古墳
 見学者が私一人だったので映写室に入るのをためらいましたが、立体映像「生きていた石人」が始まるとだんだん引き込まれていきました。その概要を私説も交え要約してみますと、

 『加工しやすい阿蘇の凝灰岩が入手できるこの地方では、古墳の周囲には石人が墓守として並べられた。石人と石馬は、この地方の大豪族”磐井”と深く結びついた文化である。

 527年、継体天皇の勢力と戦って”磐井”は破れる。天皇軍は墓守の石人・石馬を打ち壊し、それ以後この地域で石人が豪族の墓に飾られることはなく、魔よけの文様・人・馬などは古墳内部に施されるようになった』。

古墳館アプローチより岩原古墳群を見る
古墳館アプローチより岩原古墳群を見る
 この映像を見ると図録の、『6世紀~7世紀にかけて九州北部を中心に広がった』という記述とも繋がりました。装飾古墳が「磐井の君の滅亡と関連がありそうだ」と実感できただけでも、「ここに来て良かった」と思いました。

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