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越のヒスイ
能登半島
 からくり記念館の地図に「銭屋五兵衛記念館」が載っていました。加賀の豪商と呼ばれた人の生涯に興味が湧いてきたので、能登の帰りに寄ってみることに。松任方面に向かうと道路沿いに金沢西警察署があり、記念館はその並びに建っていました。
倉庫を模した、加賀の豪商「銭屋五兵衛」の記念館
倉庫を模した、加賀の豪商「銭屋五兵衛」の記念館
 貿易商として有名な五兵衛(1773年:安永2年生まれ)ですが、実は船主の家柄ではなく、39歳の時質流れの古船を修理して海運業に初参加したのだとか。北海道の礼文島、スコトン岬には「銭屋五兵衛貿易の地」の石碑がありましたが、ロシアとの貿易拠点が礼文島とは驚きました。


 解説によると、『享和から文化年間にかけ、加賀の国銭屋五兵衛は露国(ロシア)と密貿易を行うかたわらキンツバ焼きを始めた。それが江戸仕込みだったので屋号を「江戸屋」とし、字名を江戸屋としたと伝えられている。

 胆力と黄金で北海の荒海を縦横無尽に航海していた風雲児、銭屋五兵衛の壮姿を偲び、彼が貿易の拠点としたこの地に記念碑を建てる』。
「銭屋五兵衛貿易の地」記念碑
礼文島スコトン岬にあった「銭屋五兵衛貿易の地」記念碑
 胆力があり機を見ること敏、鎖国の江戸時代にあってロシアとも交易を行い、一代にして「加賀の豪商」と呼ばれる富を築いた五兵衛。財政難に苦しむ"加賀藩の台所を救った"ほど資産家だった彼ですが、その老後は安泰ではなく、80歳で獄中死したと記録にはあります。要は藩政策の犠牲になった、と言うことでしょうか。気の毒なことです。
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