トップ日本アジア中近東ヨーロッパアフリカ中南米
カンボジア
カンボジア
中国
中国
インドネシア
インドネシア
韓国
韓国
ラオス
ラオス
ミャンマー
ミャンマー
シンガポール
シンガポール
台湾
台湾
タイ
タイ
ベトナム
ベトナム
中西部
南部
済州島
東南部
北部
ソウル周辺
 展示室の最後には映像室がありました。ここで流されていた「武寧王」の紹介ビデオとパンフレットの解説を使って、彼の生涯を辿っていることにしましょう。
ビデオに登場した想像上の武寧王
ビデオに登場した想像上の武寧王
 『百済25代武寧王(462−523)。名前は斯麻、又は隆。「三国史記」によると百済24代東城王(479−501)の二男。「日本書紀」によると、倭の加唐島生まれで東城王の異母兄。異説では21代蓋鹵(こうろ)王(455−475)の息子。501年に40歳で即位し、523年(癸卯年)に62歳で亡くなるまでの在位23年間、百済中興の土台を築いた。』

 『1971年、排水路の工事中に偶然発見された武寧王陵は、墓室全体が煉瓦を積み上げて作られた煉瓦墓で、入り口通路に当る羨道と遺体を安置する玄室で構成されている』。

 盗掘を免れて発見された、青銅鏡・金製の冠装飾・金バイクなど豊かな副葬品は、「百済の古墳は質素であると言う定説を覆したと」も言われています。
1971年発見
1971年発見
墓誌石の解読
墓誌石の解読
 『最も重要な遺物の一つは、崩御年や生前の名前などが記録された墓誌石で、これは「日本書紀」の記述とも一致している。墓誌石により古墳の主人公が特定されただけでなく、各歴史書の記述の正確性が証明されるなど史料的価値が高まった。』
日本文化への影響
日本に高度な大陸文化を伝えた
日本文化への影響
日本に高度な大陸文化を伝えた
類似の副葬品
左は武寧王陵、右は日本の古墳出土
類似の副葬品
左は武寧王陵、右は日本の古墳出土
 『彼は日本に先進の文化を伝えた。』と言う画面の後に、両国の古墳や遺跡から発掘された品々が次々に写されます。履(クツ)、剣の柄頭、アクセサリーなど特徴的な遺物を、左右に並べて紹介していました。画像はイヤリングで、向って左が武寧王陵から、右が日本の古墳からの出土品です。

 ビデオを見ていて驚いたのは、『王と王妃の棺は、日本の高野山でしか生育しない高野槙で作られていた』と、画面に高野槙が出てきたことでした。韓国にも槙がないわけではないでしょうに、何で日本の木材を使ったんでしょうね、不思議。
おすすめ書籍

旅行関連書籍・DVD
2005年1月10日よりのアクセス・カウント
合計 合計カウンタ 本日 本日カウンタ 昨日 昨日カウンタ
(アクセス・カウンタはdoCNT+を利用させていただいています)

 このページについての紹介やリンクの設定は事前の承諾なしに自由に行なえます。紹介やリンク以外での文章や画像の商用利用につきましては、別途ご相談ください。

Copyright © 1996-2011. All rights reserved by Yoshiko OKONOGI

Valid XHTML 1.0 Transitional

これは便利!!!
ネット通販一括検索
amazon.co.jpのお得なDVD

楽天のおすすめ
私も使ってます