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 何故ハルピンにこれほどの規模のロシア街があったのか、色々な本で調べてみると(参考図書は下段にて紹介)、ロシア南下政策の一端としての東清鉄道の存在が浮かび上がってきました。「図説満鉄」や「図説満州都市物語」などを参考にまとめてみると、
20世紀初頭の建造物
20世紀初頭建造のこのビルは本屋さんです
 『「シベリアの豊かな資源を西へ、ヨーロッパの工業製品を極東へ」の帝政ロシアの政策で、1891年、シベリア鉄道の工事が始まった。一部が開通したちょうどその頃、日清戦争(1894〜95年)の戦後処理で日本が台湾と遼東半島を割譲されることとなった。ロシアは三国干渉で遼東半島を返還させて清に恩を売り、東清鉄道の敷設権を得た。

 その時の契約で、鉄道建設に必要だとして、沿線の広範囲に鉄道付属地を要求。こうして鉄道敷設と同時に都市建設も進められ、帝政ロシアによる極東支配が事実上始まった。』
キタイスカヤ通り
松花江(夕日の方角)へと延びるキタイスカヤ通り(現中央大街)
欧風建造物に石畳、情緒ある街並みです
 街の中心から松花江へとまっすぐに延びる通りは、中国人労働者が建築資材を運んだ場所だったため、ロシア語で「中国人の街」を意味するキタイ・スカヤと呼ばれたのだとか。それが今では「ロシア人街」のように見える、この歴史の不思議。
古い建物を飲み込んだショッピングモール
古い建物を飲み込んだショッピングモール
 友人によると「第二次大戦後、かなりの建物が壊されてしまった」そうで、場違いとも思えるガラス張りのショッピングモールが、古い建物を飲み込むような格好で出来ています。でもその後方針がかわったのか、現在では「歴史的建造物」として20世紀初頭の建物は保護するようになっています。
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