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| 鉄の未来科学館から再び往路を戻り、たたら製鉄が栄えた頃の町並みが残る「菅谷たたら山内」に向かいます。県道脇の駐車場に車を停めると、周囲を見渡す暇も写真を撮る間もなく「こちらですよ」と、伝承館に招き入れられました。テレビの前の椅子に座ると、すぐお茶とお茶うけ(お菓子に漬物!ご馳走様でした)が出され、「ここでしか見られませんから」と"出雲炭焼き日記"の上映です。
これも貴重なフイルムでしたが、60分程かかると聞き、「余り時間がありませんので…」と途中で切り上げ、バイクの先導で谷底に見えていた山内へ急ぎました。 | 桂の木を中心に、奥の長屋が元小屋、 右が菅谷高殿(国指定・重要文化財)、左がケラを砕いた大銅場
| 山内(さんない): 『古くは砂鉄と木炭を求めて移動しながら鉄を生産していた集団が、「永代たたら」の出現で定住するようになった。 最高責任者でもある技師長「村下(むらげ)」、村下の補佐役で木炭を管理する「炭坂(すみさか)」、木炭を投入する「炭焚(すみたき)」、たたらを踏む「番子(ばんこ)」に職業分離され、一体となって作業を行っていた。
彼等がその家族と共に居住していた地区が「山内(さんない)」。菅谷たたら山内では、往時43戸138人の人々が暮らしていた。山内全体を経営していたのが、山林を所有する鉄山師だった』。
菅谷たたら: 『田部家が経営していた、数ある「たら高殿」の中の中心的な存在。高殿様式のたたら製鉄施設としては唯一のもので、重要文化財に指定されている。1681年(天和元年)操業を開始してから1923年の閉山まで、240年余りの歴史を誇る』。
金屋子伝説: 金屋子神は地上に降りる時、ムラゲ(村下:たたら製鉄の技師長)とオナリ(巫女:村下の飯炊き)を連れて来た。女神の金屋子神が、鏡に見立てて化粧した「金屋子化粧の池」は、菅谷高殿のすぐ裏にある。 |
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