壱岐対馬 装飾古墳 奴国の丘 阿蘇山麓の温泉 |
| この島はほとんどが山林のため道路が曲がりくねり、右に海岸線を見て走っていたと思っていたのに突然左側にも海が見えたりして思ったより距離が稼げません。1時間も走ったでしょうか、左に「和多都美(わたずみ)神社入り口」の看板が見え、瞬間的に曲がってしまいました。
ところがこの道は未舗装で、登るにつれ徐々に狭くなっていくようです。不安になって途中で山仕事をしている方に尋ねると、「もう少し行くと広い道に出ますから、そこを左に曲がってください」。 | 彦火々出見尊(ヒコホホデミノミコト)、 豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)を祭る
| 言われた通りに道を辿ると眼下に水面が見えてきました。海が細長く陸地に入り込んだ小さな入り江、木立越しに海中に立つ鳥居が見えたかと思うと、間もなく神社に到着しました。背後と左右には森が迫り前面は海、神様の掌(たなごころ)の上にそっと置かれたような空間。ここにだけ別の空気が満ちているようです。伊勢の内宮にも似た清々しさがあって、一目で気に入ってしまいました。
| 海中に2つの鳥居を持つ 海の神様の住まいにふさわしい神社です
| 縁起 『海神、豊玉彦(トヨタマヒコ)尊が、当地に宮殿を造り、宮を「海宮(ワタヅミノミヤ)」、この地を「夫姫(オトヒメ)」と名づけた。この霊地に彦火々出見尊(ヒコホホデミノミコト)、豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)の夫婦神を奉斎(ほうさい:神仏を謹んでお祭り申すこと)したと伝えられている。』
注 : 彦火々出見尊 『天孫降臨で天下った邇邇芸命(ニニギノミコト)と木花咲耶姫(コノハナノサクヤヒメ)の末息子で、山幸彦として山で狩猟をしていたと伝えられる』。神様のお名前は古事記と日本書紀では微妙に異なって素人の理解を妨げ、「これって編者の策略ではないの」と勘ぐってしまいます。ここで縁起の記述を参考にしましたが、詳しくはネットや書物で調べてみて下さい。
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